今や日本中で知らない人はいない、平成の歌姫・安室奈美恵さん。
デビューからずっと厳しい世界を走り抜いてきた安室さんの、デビューからブレイクを果たすまでの経歴についてまとめてみました。
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安室奈美恵のプロフィール
本名:安室奈美恵(あむろなみえ)
生年月日:1977年9月20日
年齢:45歳
血液型:O型
職業:歌手、ダンサー
安室奈美恵のデビュー〜ブレイクまで
中学3年生の時に、沖縄から上京
安室奈美恵さんは中学3年生の2月、東京の芸能事務所・ライジングプロダクションと契約しました。
社長の平哲夫さんは、安室さんが通っていた沖縄アクターズスクールのマキノ校長の友人でもあり、荻野目洋子さんや観月ありささんをプロデュースした人物です。
「3年間だけ僕に預けてください」
安室さんのお母さんは、娘を芸能界に入れていいものかととても不安に思ったようですが、マキノ校長が「3年間だけ僕に預けてください。3年の間に必ず成功させてみせます」と説得したといいます。
安室さんは上京するまでの間、その日を指折り数えて待っていたとか。
「東京なんかに行っちゃだめ!」
そしていよいよ上京するという日。安室さんのお母さんは思わず「東京なんかに行っちゃだめ!」と引き留めてしまったといいます。
しかし、涙をぽろぽろ流しながら「絶対に成功するから」と言う安室さんを見て、東京へと見送ったのでした。
スーパーモンキーズのメンバーとしてデビュー
デビューするも、鳴かず飛ばずの日々
安室さんは1992年、スーパーモンキーズというグループのメンバーとしてデビューします。
デビュー曲『恋のキュート・ビート/ミスターU・S・A』を発売後、ロッテ『シリアルチョコ』のCMにも出演しました。しかし、知名度はなかなか上がらず、CDも売れませんでした。
二枚目のシングルを発売するまでには8ヶ月もかかり、スーパーなどでミニライブを開いても、なかなか人が集まらなかったといいます。
「制服を着る生活を選べばよかった」
安室さんは当時を振り返り、「デビューすればすぐに有名な人たちと一緒にテレビに出られると思っていた」と当時の苦悩を語っています。
安室さんは街を制服姿で歩く同世代の女の子たちを見て、「制服を着る生活を選べばよかった」と何度も後悔したといいます。
しかし、「沖縄に帰りたい」という彼女を、所属事務所の社長は「お前は日本のポップシーンの宝物になる」と何度も説得しました。
メンバー・牧野アンナの脱退
そんな中、メンバーの一人が脱退してしまいます。マキノ校長の娘であり、スーパーモンキーズ最年長メンバーの牧野アンナさんです。
彼女はメンバーにとってお姉さん的な存在でもあり、よき相談役でした。安室さんは彼女が脱退したこの時期を「一番辛かった時期」だと語っています。
徐々に手応えを感じ始める
漠然とした不安を感じる中でも、安室さんは徐々に手応えを感じ始めたと言います。
その後『愛してマスカット』を発売すると、街でも声をかけられるようになったそう。
その次のシングル『PARADISE TRAIN』では「尊敬する中西圭三さんに曲書いてもらえて嬉しかった」と語っています。
安室奈美恵・ソロプロジェクトが開始
新メンバー宮内玲奈・松田律子が加入
そしてその頃、メンバーの稲垣寿子さんが脱退し、のちのMAXメンバーとなる宮内玲奈(レイナ)さんと松田律子(リナ)さんが加入します。
そして、スーパーモンキーズは安室さんのソロプロジェクト「安室奈美恵 with スーパーモンキーズ」となりました。
『TRY ME~私を信じて~』が80万枚の大ヒット
そんな彼女の下積み時代にピリオドが打たれたのは、1995年に発売された『TRY ME ~私を信じて~』の大ヒットです。
安室さんの所属事務所であったライジンプロと、当時ダンスミュージックでCDセールスを伸ばしていたエイベックスがタッグを組んだことが始まりでした。
「誰か歌える人はいませんか」
エイベックスの松浦さんはライジングプロの平社長に、「誰か歌える人はいませんか」と尋ねたそう。
平社長はすぐに「アムロに歌わせたいのだとわかった」といいます。そして、1995年1月に『TRY ME~私を信じて~』が発売されました。
その後もヒットを連発
『TRY ME~私を信じて~』は80万枚のセールスを記録する大ヒットとなりました。
その後発売された『太陽のSEASON』『Stop the music』も立て続けにヒットし、安室さんは世紀の歌姫としての地位を確立していきます。
バラエティ番組でも大活躍!
『TRY ME~私を信じて~』の大ヒットで一躍有名になった安室さん。『ポンキッキーズ』や『THE夜もヒッパレ』などのテレビ番組にも出演し、子供から大人まで幅広い世代にファン層が広がりました。
芸能人のカラオケ番組とも言われていた『THE夜もヒッパレ』にレギュラー出演していた安室さん。
本人も大のカラオケ好きだと語っていましたが、他のアーティストの曲を歌ってスタッフの度肝を抜き、レギュラーに抜擢されました。
「安室あってのヒッパレ」
TRFや大黒摩季さん、工藤静香さんなどたくさんの歌手の曲を歌っていたようで、「安室あってのヒッパレ」と言われるほどの存在感があったと言います。
安室さんが大ファンだと語っていた美木良介さんが番組に出演した際には、緊張して喋れなくなってしまったというエピソードも。
どんな時でも気遣いを忘れない
共演者の中山秀征さんは、ツッコミの返し方などわからないことがあればすぐに聞くし、番組のムードを盛り上げようとする安室さんの様子を見て、「この子はもっと伸びる」と感じたと話していました。
どんな場所でも周りへの気遣いを忘れない安室さん。さすがです。
まとめ
今回は、デビューからブレイクを果たすまでの安室さんのエピソードをご紹介しました。
『TRY ME~私を信じて』でブレイクした安室さんは、その後リリースされたアルバムで100万枚を売り上げ、スターへの第一歩を踏み出します。
そして、この時の縁がきっかけで、安室さんはのちに彼女にとって欠かせない存在となる音楽プロデューサー、小室哲哉さんと出会うことになるのです。