浜崎あゆみの全盛期はいつ?売上枚数や年収、受賞歴がすごい!昔の画像も可愛すぎる!

記事下

今や日本中にその名を知らない人はいない、平成の歌姫&カリスマアーティスト、浜崎あゆみさん。

彼女が残してきた数々の伝説を、彼女の全盛期の画像とともにご紹介します。

浜崎あゆみのプロフィール

出典:https://avex.jp/ayu/

・愛称:あゆ、浜あゆ

・本名:濱﨑歩(はまさきあゆみ)

・別名:浜崎あゆみ、浜崎くるみ、ayu、CREA

・生年月日:1978年10月2日

・年齢:46歳

・出身地:福岡県福岡市早良区

・血液型:A型

・身長:157cm

・活動期間:1993年-1997年(モデル・女優)、1998年-(歌手)

・レーベル:avex trax

浜崎あゆみの全盛期はいつ?

全盛期は1999年〜2003年頃

浜崎あゆみさんの全盛期は、1999年〜2003年頃だと言われています。

当時は雑誌やCM、街中のポスターやBGMなど、日本中どこにいても浜崎あゆみさんを見かけるような状況。

髪型やメイク、ネイル、ファッションなどを真似する若い女性が街に溢れていました。

浜崎あゆみさんがアルバム発売の延期を発表しただけで、avexの株価が下がったこともあったほど。

音楽業界の枠を超え芸能界でもトップクラスの影響力を誇っていたのです。

まだ20歳前後の1人の女性アーティストが、日本中を巻き込むブームを作り上げたという事実が凄すぎますよね。

浜崎あゆみさんの全盛期については、こちらの記事でも詳しくまとめています。

2004年からメディア露出を減らす

2004年ごろには「歌手活動に専念するため」と発表し、多くのイメージキャラクターを降板しています。

浜崎あゆみさんが総合司会を務めていた冠番組「ayu ready?」が2004年3月20日に放送終了しました。

これを機に、浜崎あゆみさんは表舞台への露出を減らしていきます。

ファッションアイコン的な立ち位置から、本格的なアーティストの道を目指し始めていたのかもしれません。

この頃からロックっぽい曲や、ソウルフルな歌い方、訴えかけるような歌詞も増えてきたような気もします。

2006年以降はヒット曲が出ていない?

1998年のデビュー以降、ヒット曲を次々に世に送り出していた浜崎あゆみさん。

しかし、2006年の「BLUE BIRD」以降はヒット曲が出ていないとも言われています。

その後も精力的に活動を続けていますが、全盛期は長くても2006年くらいまでだったとも言われているようです。

浜崎あゆみの全盛期の年収・売上は?

全盛期の年収は10億超え

全盛期の浜崎あゆみさんの推定年収は、以下のように噂されています。

2000年 6億

2001年 12億7000万円

2002年 10億3000万円

2003年 7億8000万円

2004年 3億9000万円

2005年 3億8000万円

あくまで推定ですが、まさに桁違いという言葉がぴったりなほどすごいですよね。

2001年、2002年に至っては、10億を超える年収だったことになります。

2000年〜2005年の全盛期に稼いだ額の合計は、約45億円だとか。

全盛期にエイベックスから振り込まれた月収は3億円を超えていたといいます。

avexの4割の売上を記録

浜崎あゆみさんの当時のCDなどの売上額がこちら。

2001年 157億

2002年 243億

2003年 115億

2004年 54億

2005年 69億

これもまたすごい…!浜崎さんはavexの2001年3月期の売上・利益の4割を占めていたこともあったそうです。

2006年以降は売り上げが低迷したと言われていますが、2012年にはデビュー以降のCD売上枚数が5000万枚を突破。

これは、日本の女性アーティストでは初の快挙だそうです。

続いて、そんな浜崎あゆみさんの経歴や、彼女が作り上げてきた数々の伝説をまとめていきます。

浜崎あゆみの経歴

女優、グラビアアイドルとして活動

浜崎あゆみさんは小学校の時に地元・福岡のモデル事務所にスカウトされ、芸能界入り。

「浜崎くるみ」という芸名で、広告などに登場し始めました。

『Pinterest』より引用

「ツインズ教師」でドラマデビュー

歌手としてデビューする前は「サンミュージック」という芸能事務所に所属していた、浜崎あゆみさん。

1993年4月放送開始の「ツインズ教師」でドラマデビューを果たしました。

このドラマでは、後にお付き合いすることとなる長瀬智也さんとも共演されていたそうですよ。

堀越高等学校に入学

上京した後は、1994年の16歳の年に、芸能人も多く通う「堀越高等学校」に進学した浜崎あゆみさん。

同級生だった市川海老蔵さんは、当時の浜崎さんについて「かなり個性が目立っていた」と語っています。

芸能人も多く通う学校で目立つ存在だったとは、浜崎あゆみさんのカリスマ性がいかに強いかが伺えますよね。

「AYUMI」名義で楽曲をリリース

さらに浜崎あゆみさんは、1995年12月に「AYUMI」名義で日本コロムビアからシングル「Nothing From Nothing」をリリース。

avexからデビューする以前にも、さまざまな活動を行っていたのですね。

松浦勝人氏にスカウトされる

1996年の18歳の時に、浜崎あゆみさんはエイベックスの社長・松浦勝人氏からスカウトされます。

その経緯は、浜崎さんが六本木のヴェルファーレに出入りしていて、VIPルームで松浦勝人氏と知り合ったためだそう。

当時まだ浜崎さんはサンミュージックとの契約が残っていましたが、松浦さんは浜崎さんに猛アプローチをかけました。

「歌は下手だけど、声はいい」

松浦さんは浜崎さんが歌っている途中にエコーやボリュームをいじったり、globeなどの高い歌を入れたりしたそう。

浜崎さんは「何、この人?人が歌ってるのに」と思ったそうです。

その後、松浦さんから「歌が下手だからレッスンに行け」と言われたという、浜崎さん。

松浦さんは「歌は下手だけど、声はいい」と思ったそうで、浜崎さんを歌手デビューさせる計画を立てたのです。

ボイトレのため、ニューヨークへ

1996年末に所属事務所「サンミュージック」との契約が終了した、浜崎あゆみさん。

新たな所属事務所「avex(エイベックス)」からの歌手デビューに向け、本格的に準備をスタートさせていきます。

1997年の当時19歳の時に、浜崎あゆみさんはボイストレーニングを行うため、3ヶ月間ニューヨークへ。

浜崎さんは当時、ブロードウェイのあたりに住んでいたそうです。

「浜崎あゆみ」として歌手デビュー

そして1998年4月8日に、1stシングル『poker face』をリリースし、歌手デビュー。

当時は「アーティストっぽくない、アイドルにしか見えない」と言われ、「売れないだろう」と周りから言われていたそう。

そのため、デビューシングルのジャケット写真は、顔を隠すようなデザインがされているそうです。

created by Rinker
¥871 (2025/03/28 14:55:57時点 楽天市場調べ-詳細)

一部顔が隠されていても、可愛さが伝わってきますよね。

デビュー当時、浜崎あゆみさんはまだ19歳。透明感のあるまっすぐな歌声も印象的です。

1stアルバムでミリオン&紅白初出場

デビュー翌年の1999年1月1日に、1stアルバム『A Song for ××』をリリースした、浜崎あゆみさん。

渋谷の街をジャックする斬新な宣伝方法や共感を呼ぶ歌詞が話題となり、初のオリコン1位獲得&ミリオンを達成しました。

同年4月にはつんく♂さんプロデュースの「LOVE~Destiny~/LOVE~since1999~」でシングルでも初のオリコン1位を獲得。

7月にリリースされた9thシングル「Boys&Girls」では3週連続1位を獲得し、年末には紅白初出場も果たしました。

これが、「歌姫・浜崎あゆみ」の誕生です。

その後、社会現象を巻き起こすほどのカリスマ性で、平成の歌姫として数々の伝説を残していくこととなるのです。

浜崎あゆみの伝説

出典:https://avex.jp/ayu/

CD総売上5000万枚以上

ソロ・女性アーティスト史上初の快挙

自身の活動14年目となる2012年に、ベストアルバム『A SUMMER BEST』を発売した浜崎あゆみさん。

その年になんと、CDシングル・アルバム総売上枚数5000万枚を突破しました。

これは日本人女性ソロアーティスト史上初の快挙で、「アジアの歌姫」と呼ばれるようになったのです。

過去に発売したCD50作品も、すべてオリコンチャート10位以内に入っている浜崎あゆみさん。

CDの総売上金額は約1200億円で、浜崎あゆみさんの圧倒的な凄さがわかりますね。

日本史上一番CDが売れた日

そして2001年3月28日、浜崎あゆみさんは人気絶頂の最中、初のベストアルバム『A BEST』をリリースしました。

このベストアルバムの総売上枚数は400万枚を超えており、女性アーティストの中でも圧倒的な記録となっています。

出典:https://avex.jp/ayu/

超人気アーティストによる「同日発売」

なんとその日は、大人気アーティストの宇多田ヒカルさんの2nd アルバム『Distance』の発売日でもありました。

日本を代表する超人気アーティスト2人のセールス争いは、メディアからも圧倒的な注目を集めました。

出典:https://movie-tsutaya.tsite.jp/netdvd/cd/goodsDetail.do?titleID=0001847730

当日のアルバム売り上げは、宇多田ヒカルさんの『Distance』が初動約300万枚を記録し、浜崎あゆみさんの『A BEST』は初動約287万枚を記録。

浜崎あゆみさんはオリコンアルバムチャート2位となりましたが、この日は「日本で最もCDが売れた日」と言われるほどCDが売れた日だといわれています。

カリスマとして注目を集める一方、当時は自分のことを「avexの商品」だと感じていたという浜崎あゆみさん。

華々しい活躍の裏では、さまざまな葛藤を抱えていたのかもしれませんね。

流行を作るファッションリーダー

出典:https://www.facebook.com/AyuFanPage/photos/?locale=es_LA

浜崎あゆみさんを語る上で欠かせないのが、ファッションアイコンとしての彼女の影響力です。

「女子高生のカリスマ」「ギャルの神様」などと呼ばれ、圧倒的な人気を誇っていた浜崎あゆみさん。

彼女のファッションは多くの女性達から注目され、ファッションにおけるたくさんの流行が生まれました。

ガングロから白肌に

90年代後半、若い女性の間では日焼けサロンで肌を焼く「ガングロギャル」が流行していました。

しかし、浜崎あゆみさんの登場により、時代は一気に「白肌」ブームに。女性たちは美白ケアに目覚めていきました。

当時、彼女がリリースしたオリジナルアルバム『LOVEppears』のジャケット写真の白肌の「白あゆ」も、大きな反響を呼びました。

出典:https://avex.jp/ayu/

ネイルアートを流行らせた!

また、キラキラしたラインストーンを使った華やかなネイルを好んでいた浜崎あゆみさん。

浜崎あゆみさんに憧れる女性たちは、すぐさま彼女のネイルアートにも注目しました。

出典:Instagram(@influencerfollower777)

3年連続『ネイルクイーン』に

浜崎あゆみさんは、2000年度に初の『ネイルクイーン』に輝き、同賞を3年連続で受賞。史上初の殿堂入りを果たしました。

ネイルアートのほかにも、浜崎あゆみさんは自身の携帯電話などを「デコレーション」するのも好きだったよう。

彼女の真似をする若い女性たちも、自分の携帯などを「デコって」オシャレを楽しんでいました。

「シッポ」が大流行!

若い女性たちのファッションリーダーであった浜崎あゆみさんのファッションは常に注目され、さまざまなブームを巻き起こしました。

その中でも浜崎あゆみさんをきっかけに流行したといわれるのが、ファー素材の「シッポ」です。

プロモーションビデオや雑誌などで彼女が身につけているのを見た多くのファンが、パンツやバッグに「シッポ」をつけてオシャレを楽しみました。

浜崎あゆみさん公式Youtubeチャンネルより

そのほかにも「大きなサングラス」や「へそ出しスタイル」など、女性たちは彼女のスタイルを次々に真似し、それが流行となっていきました。

類稀なるファッションセンスとそのルックスの可愛さから、「あゆみたいになりたい!」と思う若い女性ファンがとても多かったのです。

「ビジュアルにコンプレックスがあった」

斬新でオシャレな小物などを身につけ、次々に新たな流行を作っていった浜崎あゆみさん。

しかし驚くべきことに、それは浜崎さんのコンプレックスの裏返しだったそう。

「自分のビジュアルにコンプレックスがあった」ため、小物などで「視線を散らそうとしていた」と後に語っています。

驚きですよね!あんなに完璧なのにどうして?と思いますが、それも浜崎さんのプロ意識の高さゆえなのかもしれません。

リミックスブームの火付け役に

画像引用元:https://avex.jp/ayu/discography/detail.php?id=1003283

また、浜崎あゆみさんは音楽面でも功績があり、リミックスブームの火付け役になったのではないかと言われています。

浜崎あゆみさんは、1999年に自身初のリミックスアルバム「ayu-mi-x」、2000年に「ayu-mi-x 2」、2001年に「ayu-mi-x 3」を発売。

ユーロビートブームの最中、2000年2月には「SUPER EUROBEAT presents ayu-ro mix」もリリースしました。

2001年9月には「SUPER EUROBEAT presents ayu-ro mix 2」「Cyber TRANCE presents ayu trance」も発売。

「Cyber TRANCE presents ayu trance」は、世界的なトランスプロデューサーが手がけ、売上70万枚を突破しました。

海外でも人気に?

同アルバムは海外でも全英クラブチャート11位、ドイツのクラブチャート2位にランクインするほどの人気ぶり。

「あゆトランス」という言葉も定着し、まさにリミックスブームの火付け役になったともいえるでしょう。

浜崎あゆみさんの突き抜けるような高音や鼻にかかるような個性的な歌声は、リミックスでも映えますよね。

リミックスブームの再来?

2020年にはクリエイターたちに向けアカペラ音源も無料公開され、リミックスブームの再来が噂されました。

浜崎あゆみさんは過去に、自身のシングル楽曲「kanariya」などのアカペラ音源を公開したことがあります。

「ayu-mi-x 2」はそれをもとに作られた一般公募のリミックス作品が収録されており、話題になったのです。

数々のリミックスアルバムをリリースし、ブームを盛り上げてきた浜崎さんならではの試みですよね。

あらゆる賞を総なめに

「ベストジーニスト賞」殿堂入り

ファッションリーダーとしても存在感を発揮してきた浜崎あゆみさんは、2000年に初めてベストジーニスト賞を受賞。

その後、2001年、2003年、2004年、2005年に同賞を受賞しました。

3年連続、計5回ベストジーニスト賞を受賞するという快挙を成し遂げた浜崎あゆみさんは、女性初の殿堂入りを果たします。

ファッション関連の賞では、「ベストドレッサー賞」(2000年)や、「ネイルクイーン」(2001年、2002年、2003年)も受賞。

「第14回 日本メガネベストドレッサー賞<サングラス部門>」(2001年)なども受賞しています。

歌だけでなく、ファッション面でも圧倒的な注目を集めていたことがわかりますね。

「日本レコード大賞」3年連続受賞

出典:https://www.hmv.co.jp/

浜崎あゆみさんは、年に一度行われる日本の音楽業界における祭典『日本レコード大賞』にて、3年連続で大賞を受賞。

第43回は『Dearest』、第44回は『Voyage』、第45回は『No way to say』にて大賞を受賞しています。

レコード大賞の3年連続受賞は、なんと日本史上初の快挙。

このことからも、浜崎あゆみさんの人気が圧倒的なものであったことがわかります。

浜崎あゆみのその他の受賞歴

その他にも数々の音楽賞を総なめにしてきた、浜崎あゆみさん。その他の彼女の受賞歴をまとめました。

・日本ゴールドディスク大賞
「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(2001年、2002年、2004年)

・日本有線大賞
「大賞」(2001年、2002年)

・全日本有線放送大賞(ALL JAPANリクエストアワード・ベストヒット歌謡祭)
「グランプリ<ポップス部門>」(2000年、2001年、2002年、2003年)

・ワールド・ミュージック・アワード
「Best-selling Artist/Japan」(2001年、2005年)
「Best-selling Artist/Asia」(2002年)
「Best Pops Singer/Japan」(2003年)

こうして並べてみると、2001年〜2005年の浜崎あゆみさんの勢いが凄まじかったことがわかりますね。

世界からも「日本のトップアーティスト」として注目を集めていたことが伺えます。

浜崎あゆみさんの人気の理由とは?

時代のカリスマ・浜崎あゆみさんが残してきた数々の伝説から、彼女の圧倒的な影響力を感じることができますね。

しかし、こんなにも多くの女性が彼女に夢中になる理由は何なのでしょう?

続いて、浜崎あゆみさんの人気の理由についてご紹介していきます。

浜崎あゆみの人気の理由

出典:Instagram:influencerfollower777

圧倒的に可愛いルックス

浜崎あゆみさんの人気の理由の1つは、なんといっても圧倒的に可愛いルックス。お人形さんのような大きな瞳に、多くの女性が憧れました。

ファッション雑誌の表紙は彼女で埋め尽くされ、街中に彼女の髪型やファッションを真似る女性が溢れました。

金髪ショートが話題に

CMにも数多く出演していた浜崎あゆみさんの影響力は、圧倒的なものでした。

彼女の髪型で最も注目を集めたスタイルの1つは、金髪ショートです。

目が大きくて、お人形さんのように可愛いお顔立ちですよね。

この髪型の頃の浜崎あゆみさんは、人気絶頂だったと言われています。

「全盛期のayuが可愛すぎる!」と今でも話題になるほど、彼女の人気は凄まじいものでした。

共感を呼ぶ歌詞

浜崎あゆみさんの人気の理由は、彼女の書く歌詞にもあります。彼女の曲の歌詞は全て彼女が書き、その等身大の歌詞が多くの女性の心に刺さりました。

恋愛のみならず、孤独をテーマにした歌詞も多く、将来に不安を抱える10代の女性たちの心に響いたのです。

当時の彼女の映像を振り返ってみても、彼女の放つオーラや、歌詞のメッセージ性の強さは圧倒的です。

雑誌のインタビューと歌詞がリンク

女性たちの憧れの的である浜崎あゆみさんは、ファッションや髪型だけでなく、雑誌のインタビューなどの発言においても注目されていました。

彼女のとある雑誌インタビューがこちら。

すごく幸せそうに見えるカップルでも、その二人を取り巻くすべてのことが上手くいっているわけじゃない。実際に接してみないと、触れてみないと、わからないことってスゴく多い。

『ViVi』1999年12月号より

このインタビューを受けた当時、1999年の11月に、浜崎あゆみさんは『appears』という楽曲をリリースしています。その歌詞の一部がこちら。

恋人達は とても幸せそうに

手をつないで歩いているからね

まるで全てのことが 上手く

いっているかのように 見えるよね

真実はふたりしか知らない

『appears』/浜崎あゆみ

歌詞の内容が、インタビューで彼女が語った内容とリンクしていますよね。

このように浜崎あゆみさんは、自身の体験や、感じたことをそのまま歌詞に書いていました。

そのため、彼女の歌は同世代の女の子達にとってリアルなものに感じられ、共感を呼んだのです。

まとめ

今回は、浜崎あゆみさんの全盛期の画像とともに、彼女の人気の理由や、輝かしい伝説の数々をご紹介しました。

時代を象徴する数々の名曲を残してきた浜崎あゆみさん。今もなお、彼女の書く歌詞やSNSの投稿には注目が集まっています。

そんな浜崎あゆみさんの今後の活躍からも、目が離せません!

こちらの記事もチェック☆

created by Rinker
¥3,080 (2025/03/29 04:31:32時点 楽天市場調べ-詳細)

関連コンテンツ