浜崎あゆみと松浦勝人の馴れ初めは?別れた時期や現在の関係についても

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浜崎あゆみが松浦勝人との交際を初告白

出典:https://myjitsu.jp/archives/19416

エイベックス社長・松浦勝人さんとの交際を綴ったノンフィクション小説『M 愛すべき人がいて』の出版で話題となっている浜崎あゆみさん。

1998年にエイベックスから歌手デビューした浜崎あゆみさんですが、どうやら社長の松浦勝人さんとデビュー前から恋人関係にあったそうなのです。

浜崎あゆみさんの突然の告白に、驚いた方も多かったのではないでしょうか。

2人の交際は業界では有名な話だった?

しかし、浜崎あゆみさんと松浦勝人さんの交際は、芸能界やファンの間では有名な話だったそう。

芸人の今田耕司さんはお2人の関係について、とある番組で以下のように語っていました。

「これって世の中の人はビックリしているんですか?」(と番組共演者に質問。)

「(芸能界で活動する)こちらの人間は、当時から誰でも知っていること」

https://news.livedoor.com/article/detail/16940704』より

女子高生のカリスマ、平成の歌姫として絶大な人気を誇る浜崎あゆみさん。

私生活においても注目されてきた彼女ですが、今回の暴露本出版は「あゆ世代」の人たちの間でも話題となりました。

今回は、浜崎あゆみさんと松浦勝人さんの馴れ初めや、お2人の交際時の出来事についてまとめました。

浜崎あゆみのプロフィール

出典:https://avex.jp/ayu/

芸名:浜崎あゆみ(はまさきあゆみ)

愛称:あゆ

別名:浜崎くるみ(旧芸名)、CREA(作曲時)

本名:濱﨑歩(はまざきあゆみ)

生年月日:1978年10月2日

年齢:44歳

血液型:A型

出身地:福岡県福岡市早良区

所属:エイベックス・マネジメント

職業:歌手、作詞家、作曲家

活動期間:1993年〜1997年(モデル・女優・アイドル)、1998年〜(歌手)

地元・福岡県でスカウトされ、芸能界入り。上京後は大手芸能事務所「サンミュージック」に所属し、モデル・女優として活動。

サンミュージックとの契約終了後、1998年にシングル『poker face』でエイベックスから歌手デビュー。

松浦勝人のプロフィール

名前:松浦勝人(まつうらまさと)

生年月日:1964年10月1日

年齢:58歳

血液型:O型

出身地:神奈川県横浜市港南区

学歴:日本大学経済学部産業経営学科卒業

浜崎あゆみのほか、EXILEや倖田來未、AAAなど数々の人気アーティストをプロデュース。

松浦勝人の結婚・離婚歴について

浜崎あゆみさんとの交際について紹介する前に、松浦勝人さんの結婚・離婚歴について見ていきます。

松浦勝人さんは、1995年にモデルの原口香さんと結婚し、1年ほどで離婚。

その後、2003年11月に、雑誌『ViVi』の専属モデルだった畑田亜希さんと再婚。お2人の間には3人の子供がいるようです。

浜崎あゆみさんが松浦勝人さんとの交際について初告白

松浦勝人さんと浜崎あゆみさんが付き合っているのでは?という話は、以前からファンの間でも、芸能界でも有名な話だったそう。

そして浜崎さんは2019年7月、自身のノンフィクション小説『M 愛すべき人がいて』にて、松浦勝人さんと恋人関係だったことを告白します。

『M 愛すべき人がいて』は、イチローさんやYOSHIKIさんなどの本も担当したノンフィクションライター・小松成美さんが手がけました。

続いて、浜崎あゆみさんと松浦勝人さんの馴れ初めについて見ていきましょう。

浜崎あゆみと松浦勝人の馴れ初め

2人の出会い

出典:https://pin.it/7iYrUQ5

浜崎あゆみさんは、福岡でスカウトされたのち、子役として芸能界デビューを果たします。

大手芸能事務所サンミュージックに所属し、「浜崎くるみ」という芸名でモデルや女優、グラビアアイドルとして活動していました。

松浦さんが浜崎さんのルックスに惚れ込む

そんな2人の出会いは1996年ごろ、浜崎あゆみさんがまだ16~17歳のとき。2人は六本木のヴェルファーレのVIPルームで出会いました。

松浦勝人さんは、浜崎あゆみさんのビジュアルを「完璧だ」といって惚れ込みます。

浜崎あゆみさんは、当時所属していたサンミュージックを辞め、松浦さんと二人三脚でデビューに向けて準備を始めました。

二人三脚で「浜崎あゆみ」を作る

松浦さんは当時を振り返り、周りに「売れないから辞めとけ」「スポンサー受けする顔じゃない」と言われ、その悔しさをバネにしていたと語ります。

大好きな人とともに夢に向かっていくことに喜びを感じていた浜崎あゆみさん。

彼女は『M 愛すべき人がいて』の中で、デビュー前の心情について以下のように語っています。

こんなにちっぽけな私をこの世界から探し出し、歌という目標を掲げて、ともに闘ってくれて、ありがとう。

『M 愛すべき人がいて』より

当時の浜崎さんにとって、松浦さんとの出会いがとても大きな分岐点になっていたのでしょうね。

2人は正式に交際を開始

2人が出会った当時、松浦さんは既婚者であったため、浜崎さんはその恋心を秘めたままにしていました。

しかし、浜崎あゆみさんのデビュー曲のレコーディングが終わると、松浦さんは当時の奥さんと正式に離婚。

浜崎さんは松浦さんに自身の想いを綴ったFAXを送り、松浦さんは浜崎さんと真剣に交際を始めます。

1998年 avexからデビュー

出典:https://www.calvadoshof.com/artist/HamasakiAyumi/pokerface.html

そして浜崎あゆみさんは1998年4月、『poker face』でデビュー。当時avexは上場したばかりで、社運をかけたCD発売となりました。

翌年に発売された1stアルバム『A Song For xx』はミリオンセラーを記録。ここから浜崎あゆみさんの伝説が始まります。

浜崎あゆみさんは瞬く間にスターダムへと駆け上がり、数々のヒット曲を生み出していきました。

2人の別れ

出典:https://avex.jp/ayu/

しかし、その輝かしいキャリアの裏で、浜崎あゆみさんは愛する恋人・松浦勝人さんとの別れを経験することに。

当時の浜崎さんが作詞した楽曲の多くは、松浦勝人さんに向けてのものだったと言われています。

自身のプロデューサーであり、恋人でもある松浦さんに対し、浜崎さんは歌詞を通して必死に気持ちを伝えていたのかもしれません。

『appears』という楽曲の歌詞の意味

2人の関係が終わりに近づいたのが、1999年。同年11月にリリースされた楽曲『appears』の歌詞に、当時の2人の関係性が鮮明に描かれています。

恋人達は とても幸せそうに

手をつないで歩いているからね

まるで全てのことが 上手く

いっているかのように 見えるよね

真実はふたりしか知らない

『appears』の歌詞より

生放送中に号泣

そして、浜崎あゆみさんは歌番組『ミュージックステーション』の生放送中、『appears』を歌っている最中に泣いてしまいます。

当時のことは『M 愛すべき人がいて』の中で、以下のように語られています。

浜崎あゆみが生放送中に泣いた、というニュースはその最中に広がって、たくさんの憶測を呼んだのだけれど、もちろん、誰も本当のことを言い当てられる人はいなかった。

『M 愛すべき人がいて』より

どんどんカリスマ性をおび、人気を増していく浜崎あゆみさんがどうして号泣してしまったのか、当時は多くの人が不思議に思ったことでしょう。

2000年 松浦勝人と破局

出典:https://avex.jp/ayu/

そして2000年、松浦さんと浜崎さんは完全に破局してしまいます。

同年にリリースされた『vogue』『Far away』『SEASONS』はファンの間で「絶望3部作」と呼ばれており、彼女の別れの悲しみが歌われています。

絶望の中にいた彼女は当時、ノートに歌詞を書きながら、心の中でこのように感じていたといいます。

二人で作り上げた”浜崎あゆみ”は、マサにも、あゆにも、手に負えないモンスターになってしまったね。でも、このモンスターから、あゆは逃れられないのでしょう。

『M 愛すべき人がいて』より

2人で築き上げたはずの浜崎あゆみというアーティストが大きくなりすぎてしまったことが、2人の別れのきっかけの一つとなってしまったのでしょうか。

もしもそうだとすれば、なんとも切ないです。

同年12月にシングル『M』をリリース

そして浜崎あゆみさんは、同年12月にシングル『M』をリリース。その歌詞は、松浦さんとの決別を意味していたといわれています。

出典:https://www.hmv.co.jp/

今日もまたこの街のどこかで

別れの道 選ぶふたり

静かに幕を下ろした

‘Maria’ 愛すべき人がいて

時に 強い孤独を感じ

だけど 愛すべきあの人に

結局何もかも満たされる

『M』の歌詞より

歌詞の中の『M』は松浦勝人の頭文字

浜崎あゆみさんは、携帯の松浦さんの連絡先の名前を『M』として登録していました。

この曲のタイトルにもなっている『M』は、松浦勝人さんの頭文字『M』を意味していたのです。

翌年の2001年、松浦さんが都内のホテルで多量の睡眠薬とアルコールを摂取し、救急搬送されたと週刊誌で報じられました。

真相は明らかにされていませんが、当時、松浦さんは浜崎さんとの関係や仕事の悩みなどで苦しんでいたと言われています。

楽曲にも変化が

松浦氏との破局により、楽曲にも変化があった浜崎あゆみさん。

2002年7月発売の『July 1st』は、これまでのイメージとはガラッと変わった、明るい曲調のシングルとなりました。

このことについて、松浦さんはとあるインタビューで以下のように語っています。

「俺だったらあれやらないみたいになっちゃうから」

引用元:https://coconutsjapan.com/etm/post-97106/97106/

今までは、二人三脚で常にタッグを組みながら「浜崎あゆみ」というアーティストを作り上げてきた2人。

「俺だったらやらない」と語っていることからも、この頃には2人の間に距離が出てきていたことがうかがえますね。

たしかに、今までは悲しみを歌った曲が多かったですが、この頃から夏にもぴったりなアップテンポな曲も増えてきた印象です。

浜崎あゆみと松浦勝人の現在

浜崎あゆみさんが「この身を滅ぼすほど、一人の男性を愛しました」と語るほど、大恋愛をした2人。

カリスマ歌姫として圧倒的な人気を誇る浜崎あゆみさんは、その名声と引き換えに松浦さんとの悲しい別れを経験することになりました。

現在の2人は、いったいどのような関係を築いているのでしょう?

友人として良好な関係を築いている

現在は、恋人同士という間柄ではないものの、良好な関係を築いているようです。

松浦さんが自身のSNSで浜崎あゆみさんファンからの質問に答えたり、お互いのインスタグラムに登場することも。

浜崎あゆみさん公式インスタグラムより

こちらは2017年10月1日、浜崎あゆみさんが松浦さんの53歳の誕生日パーティーに顔を出した時の写真。

長年の付き合いになるお2人の、和気あいあいとした雰囲気が感じられますね。

浜崎あゆみさんが松浦氏に感謝を綴る

浜崎あゆみさんは2023年4月に自身の25周年ライブを行い、ライブの翌日に松浦勝人さんに感謝の言葉を送りました。

インスタに松浦氏とのツーショットをアップし、「25年間浜崎あゆみを支えていただき、ありがとうございました!」と語った浜崎さん。

同時に以下のメッセージを記載していました。

「貴方に甘やかされ守られすぎて育ってきた当時の無知すぎたわたしには分からなかったけれど、毎晩PCの前に張り付いて、Team ayuの掲示板をカタカタやっていた背中はいつも見ていたし、今でもハッキリ覚えている」

浜崎あゆみさん公式インスタグラムより引用

交際、そして破局と様々なことがありながら、ビジネスパートナーとしてもタグを組んできた浜崎さんと松浦さん。

周囲の反対を押し切り自分自身をスターへと導いてくれた松浦さんは、浜崎さんにとって感謝してもしきれない存在なのでしょうね。

今後2人が復縁するかどうかはわかりませんが、「浜崎あゆみ」というアーティストを作っていく同志として、これからも関わっていくのでしょう。

まとめ

今回の暴露本については、ネット上やファンの間で「知りたくなかった」「話題作りだ」「なんで今さら?」と様々な意見が飛び交っています。

暴露本を出版した当時、ライブツアー『ayumi hamasaki TROUBLE TOUR 2019-2020 A ーmisunderstoodー』の真っ最中だった浜崎さん。

話題作りという可能性も指摘されましたが、浜崎さんのレコード会社の幹部は、以下のように語っています。

「最初、彼女は松浦さんとの恋を赤裸々にするのにかなり悩んでいた。でもすべてをさらけ出すことが”あゆ流”。それを思い出し、唯一隠してきた”禁断の恋”を語ることで、第二章のスタートラインに立つ決意を示したのだと思います。」(レコード会社幹部)

『https://www.news-postseven.com/archives/20190731_142348.html/ 』より

このタイミングで暴露本を出版することになった理由としては様々な憶測がされますが、真相は彼女自身にしかわかりません。

女子高生のカリスマとして絶大な人気を誇る裏で、大好きな人との別れに苦しんでいた浜崎あゆみさん。

そんな彼女だからこそ、多くの人の心に刺さる歌詞を書くことができたのかもしれません。

今もなお根強いファンを持つ浜崎あゆみさんの、今後の活躍にも注目が集まります。

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