2020年にデビュー20周年を迎え、現在も多くのファンを魅了するアーティスト・倖田來未さん。
“エロかっこいい”ブームを巻き起こし、日本のトップスターの1人となった彼女ですが、実は過酷な下積み時代を経験していたんです。
今回は、倖田來未さんの下積み時代のエピソードについてまとめました。
倖田來未さんの下積み時代のエピソード
デビューまでの準備期間がスタート
高校2年生の時に、avex主催のオーディション『avex dream 2000』で準グランプリを獲得した倖田來未さん。
1年間のレッスン期間を、デビューまでの準備期間として用意されました。
毎週末、京都から東京へと新幹線に乗って通い、レッスンを受ける日々を送っていたそうです。
ここでダメだと判断されたらデビューの話は無くなってしまうため、デビューできるかを見極められる大切な期間だったといいます。
しかし、オーディション準グランプリの賞金50万円はデパートのレストラン街で食べつくしてしまったという倖田來未さん。
「レッスンを受けているんだから、デビューできるでしょ?」と甘い考えを持ち、東京ライフを楽しんでいたそうです。
デビューできるかわからない不安
オーディションには合格したものの、当時はデビューすることすらギリギリまで知らされなかったという倖田來未さん。
むしろディレクターから店頭にCDが並ぶ当日まで「CDがほんまに出るかわからんから」とも脅されていたほどだったそう。
ずっと歌手になることを夢見てきた倖田來未さんですから、当時はもどかしい気持ちだったことでしょうね。
店頭に自分のCDが並んでいるのを見た時は、「ほんとにデビューできたんだ!」ととても嬉しかったそうです。
調子に乗らせないための策?
当時の事務所の対応について「(倖田來未さんを)調子に乗らせないための策だったのでは」と語る倖田來未さん。
デビュー曲「TAKE BACK」の撮影も、なんのための撮影かは教えてもらえず、レコーディングした曲が販売されるのか?という不安もあったそうです。
不真面目ではなかったものの、当時まだ女子高生であったことや、見た目からも判断されたのではないかと語ります。
歌手になることしか考えていなかった
当時から、歌手になることしか考えていなかったという倖田來未さん。
当時の自分について「怖いもの知らずな上に世間知らず」だと語っている倖田來未さん。根拠のない自身を味方に突き進んでいたといいます。
オーディションに受かったら東京の高校に編入しようと考えており、地元の高校も入れるところに入ったそう。
しかし、社長の松浦さんには「最後まで高校に通い、卒業したら東京に出ておいで」と言われ「嘘やろ?」と思ったといいます。
倖田來未さんとしては、学校に通うことよりも、とにかく早く歌手になりたかったのでしょうね。
「すごい会社に入ったんだな」
その後、倖田來未さんは2000年に「TAKE BACK」でメジャーデビュー。
しかし当時学校では期末テストの真っ只中で、祝福ムードでもなかったそうです。
一方、デビュー曲のプロモーションのCMはたくさん流れていて「すごい会社に入ったんだな」と思ったそうです。
デビュー曲はオリコン59位
2000年12月6日、1stシングル「TAKE BACK」でエイベックスからメジャーデビューを果たした倖田來未さん。
数々の人気アーティストを輩出してきたavexオーディションに合格した当時は「エイベックスに入れば売れる」と思っていたそう。
しかし、1stシングル「TAKE BACK」の売り上げは、オリコンチャート最高59位止まり。
夢にまで見たデビューを果たした彼女ですが、現実は決して甘くはなかったのです。
売れないストレスで激太り
avexからデビューすれば売れると思っていたものの、実際は倖田來未さんにとって厳しく長い”冬の時代”がスタート。
そんな現実と理想の狭間に悩んだ倖田來未さんは、激太りしてしまったそうです。
「エイベックスにこんな太ってるアーティストいるか?」と怒られてしまうこともあったそうです。
テレビに出られない時期
幼い頃からテレビが大好きだったという倖田來未さんにとって、長年の夢であった歌番組への出演。
しかし、倖田來未さんがデビュー当時に所属事務所から伝えられた方針は、「倖田來未はTV露出しない」というものでした。
倖田來未さんはあまりのショックに、デビューからの約5年もの間、歌番組を見ることができなかったといいます。
そのため、当時のヒット曲は記憶からごそっと抜け落ちているという倖田さん。音楽が大好きな倖田さんにとっても辛い時期だったでしょうね。
「全国100箇所のクラブを回ろう」
デビューするもなかなか結果を出すことができない中、彼女に待ち受けていたのは、深夜のクラブ回り。
倖田來未というアーティストの存在を多くの人に知ってもらうため、「生の歌声を聞いてもらおう」という意図でスタートしたといいます。
「いい歌を歌っていれば必ずファンはついてくる」という松浦社長の言葉を信じ「全国100箇所のクラブを回ろう」と気合十分でスタートしたそうです。
華々しいステージで歌っている倖田來未さんからは想像もできませんが、当時の彼女はどのようにして下積み時代を乗り越えてきたのでしょう?
トラブルはしょっちゅう?
倖田來未さんがライブを行っていたクラブは、普通のライブ会場とは異なるため、トラブルもしょっちゅうだったそう。
クラブのフロアにはステージがなく、ビールケースを並べ、上にベニヤ板を敷いた即席ステージを作ったこともあったそう。
また、音響も整っていないため、大事なステージに限ってマイクトラブルが起こったり、音が途中で途切れてしまったり。
万全の環境でライブができない中、「思うように歌えなかった」と落ち込むこともしょっちゅうだったといいます。
しかし、当時売れていなかった倖田來未さんには、クラブのスタッフさんが謝りに来てくれさえしなかったそう。
倖田さんのお母さん・茂子さんは、当時、そんな悔しそうな倖田さんの顔や涙を見て心が痛かったそうです。
大会場に観客は1列だけ?
そんな下積み時代の最中、新潟でとある大きなクラブのイベントがあったそう。
倖田來未さん本人も「たくさんの人に歌を聴いてもらえる」と楽しみにしていたそうですが、そこでまたもやハプニングが。
なんと当日が猛吹雪で、2000人入ることができる会場に観客は前列の1列だけ。お客さんよりスタッフさんの数の方が多い状況だったといいます。
天候の問題は自分ではどうすることもできませんし、期待を膨らませていた分、ショックも大きかったはず。
しかし、倖田來未さんはがっかりしながらも、しっかりとパフォーマンスをやり切ったそうです。さすがプロですよね…!
「こんなはずじゃなかった」
お客さんは友達だけという日や、お客さんがたったの3人という経験もしたという倖田來未さん。
大きなステージで「みんなに歌を届けたい」という思いで歌手になったのに、「こんなはずじゃなかった」と感じたそう。
しかし、毎回来てくれる数人のファンの声援と数通のファンレターが倖田來未さんの励みになったそう。
「まだ数は少なくても、私の歌はちゃんと誰かに届いている」という小さな希望が積み重り、当時の彼女を支えてくれていたといいます。
そして自分の歌を聴いて勇気づけられたり、涙を流している人の存在を知ったという倖田來未さん。
当時の経験があったことで、ステージを用意してもらえることのありがたみも感じられるようになったといいます。
眠気との戦い
小さい頃から夜9時には布団に入っているような子供だったという倖田來未さん。
そんな彼女にとって、深夜のクラブ周りは、起きていること自体が「正直、辛かった」と語ります。
一度寝ると声が出にくくなってしまうため、仮眠を取ることも難しかったそうです。
「お前、誰やねん!」
当時はワンマンライブではなく、イベントのゲストとして呼ばれることがほとんどだったという倖田來未さん。
倖田來未さんを知らないお客さんも多く、ライブが始まるや否やフロアから離れてしまう人がいたり。ライブでは常に”アウェイ”感があったそうです。
倖田來未さんがステージに立って歌っていても、会場にいる人の反応は「誰?」というような冷ややかなもの。
お酒を飲んでいるお客さんから、「お前誰やねん!」と罵声を浴びせられることもあったといいます。
当時について「お酒を飲みながらだから、まともに歌を聴いてもらえなかった」と語っている倖田來未さん。
歌を聴いてもらえないだけでなく、冷ややかな目線や罵声を浴びせられる状況は、耐え難いものだったでしょう。
「すごい度胸の持ち主」
しかしそんな状況の中でも、しっかりとパフォーマンスをやりきっていたという倖田來未さん。
トラブルさえも”演出”に変え、持ち前の明るさとMCで、最終的にはフロアを沸かせていたといいますから、さすがとしか言いようがありません。
当時のマネージャーさんは、そんな彼女の姿を見ていて「すごい度胸の持ち主」だと感じていたそう。
パフォーマンスをやり切るだけでなく、フロアも沸かせてしまう。
どんな状況でもお客さんを楽しませよう!という倖田來未さんのエンターテインメント精神も感じさせられますよね。
当時のマネージャーさんは、「どんな状況でもクオリティの高いエンターテインメントを追求する姿勢が彼女を成長させた」と語っています。
当時はまだ10代だった倖田來未さん。その頃から圧倒的な”プロ根性”を持っていたことがわかりますね。
周りの人たちの支え
デビューから5年ほどはヒット曲に恵まれず、デビューさせてくれた会社の期待に応えられない不甲斐なさを感じていたといいます。
そんな彼女を支えてくれたのが、周りのスタッフさんやダンサーさんたち。
お客さんがほとんどいなくても「今日も頑張ろう!」と声をかけてくれたことが励みになったといいます。
家族・友人の支え
倖田さんの家族や友人も「くぅちゃーん!」と応援に来てくれたそう。
保育園からの幼馴染である友人は、今ライブが始まる前の「くぅちゃーん!」という歓声を聞くと泣いてしまうそうです。
まだ売れていない時期から、倖田さんがいかに周りの人に応援されていたかが伺えますね。
まとめ
今回は、アーティスト・倖田來未さんの下積み時代のエピソードをご紹介しました。
アリーナツアーや東京ドーム公演など、数々の大きなステージに立ってきた倖田來未さん。
デビュー当時の「クラブ回り」時代のことは、今でも思い出すことがあるそうです。
ドキュメンタリー番組「情熱大陸」に出演した際には、「(事務所が)よく見捨てないでいてくれたなって」と涙を流す場面も。
だからこそ今、大きな会場でライブができていることに、常に「感謝の気持ち」を持っているといいます。
常に初心を忘れない姿勢が、多くのファンに愛され、かっこいいパフォーマンスを追求し続けられる理由なのかもしれません。
倖田來未のプロフィール
名前:倖田來未(こうだくみ)
愛称:くぅちゃん
生年月日:1982年11月13日
出身地:京都府
年齢:41歳
身長:154cm
活動期間:2000年-
職業:歌手
事務所:エイベックス・マネジメント
2000年にシングル『TAKE BACK』でエイベックスからデビューし、2006年に『Butterfly』で日本レコード大賞を受賞。
圧倒的なライブパフォーマンスと愛らしいキャラクターで、現在も多くのファンを魅了し続けている。