2020年にデビュー20周年を迎え、現在も多くのファンに愛されるアーティスト・倖田來未さん。
今回は、倖田來未さんが大ブレイクした年でもある「2005年」のエピソードをまとめました。
Contents
倖田來未が語る「2005年」とは
倖田來未がブレイクした”飛躍の年”
倖田來未さんにとって、2005年は倖田來未というアーティストの存在がより世に知られるようになった”飛躍の年”だったそう。
新曲も次々リリースし、その度トップにランクインし、確実に自信をつけていったそう。
下積み時代から夢に見た光景へ
夢だった歌番組や女性ファッション誌にも出演し、周りから認められてきたと感じたそうです。
2000年にデビューを果たしてから長い下積み時代を経験し、歌を聴いてくれる人が一気に増えたと語る倖田來未さん。
夢にまで見た光景で毎日が夢心地で、忙しかったけれど疲れるどころか楽しくて仕方がなかったと語ります。
両親への恩返し
特に嬉しかったのは、レコード大賞と紅白だそう。ご両親にやっと恩返しができたという想いと、感謝の気持ちが溢れてきたといいます。
セクシーな衣装でバッシングを受けた時も、「かっこいいと」言ってくれたご両親への感謝も生まれたそう。
やりたいことが出てきた年
2005年は倖田來未さん自身も「とにかく冴えていた」1年でもあったそう。やりたいことが次々出てきた年だそうです。
それをスタッフの方たちが実現してくれるという、スタッフさんの誠意がとても伝わってきた1年だったと語ります。
オリジナルアルバム『secret』の大ヒット
2005年2月には、「キューティーハニー」などを収録したオリジナルアルバム『secret』をリリースした倖田來未さん。
前作の2倍以上の売り上げとなる、50万枚を超える大ヒットとなりました。
倖田さん自身、「まさか50万枚も売れるとは思わなかった」とかなり驚いたそうです。
ジャケットデザインにもこだわる
オリジナルアルバム『secret』のジャケット写真は、倖田來未さんご自身も気に入っているそう。
部屋に置いておいて女の子たちが「可愛い」と感じるようなデザインにするようこだわったそうです。
インターネットの台頭によりCDが売れにくい時代になる中、「すごく良いモノが出来た」と感じたそうです。
リスナーの求めるものをリサーチ
制作段階では、ヒットするかは「五分五分だと思ってました」と語る倖田來未さん。
しかし楽曲選びにおいては自分のやりたいことより、どういう曲がリスナーの間で人気かを徹底リサーチしたそうです。
自分の一番やりたいことは3割で、あとはインターネットでファンサイトなどを参考にしたそう。
“どういう曲が今までの曲の中で人気があったのか”を重視し、残り7割は「みんなが求めているもの」を作ったそうです。
リスナー目線に立ち徹底的にマーケティングを行ったことも、『secret』の大ヒットにつながったのですね。
女性ファンの心を掴む作品に
ライブなどを開催しても前列がほとんど女性だったりと、女性ファンが増えてきたと感じるようになったと語る倖田來未さん。
アルバム『secret』のリリース以降よりその傾向を感じ、女性ファンも大切にしていこうという気持ちが増したといいます。
倖田來未さんといえば、女性から見てもセクシーでかっこいいファッションや、女性が共感できる歌詞も印象的ですよね。
初のワンマンライブも開催
また2005年6月には、アルバム『secret』を引っさげた新木場STUDIO COASTでの初のワンマンライブも開催した倖田來未さん。
セクシーな演出やダンスが満載で、色っぽさだけでなくカッコよさも表現。女性の心も掴むライブとなりました。
「夜のテーマパーク」がテーマ
ライブ『secret ~FIRST CLASS LIMITED LIVE~』のテーマは、“夜のテーマパーク”だったそう。
「夜のネバーランドへようこそ!」という感じで、倖田來未の遊園地へ遊びに来た感覚を味わってもらいたかったといいます。
大人のファンたちにも子供心を思い出してくれるようなツアーにしたかったそう。
ライブDVDには次のライブのヒントになる鍵が入っていたりと、遊び心溢れるツアーになったようです。
アルバム『secret』用のライブの意味合いが強かったため、倖田來未さんの好きなコアな楽曲も多数盛り込まれていたといいます。
「愛を表現する」ライブ
自身のライブについて「男の人にも女の人にも、そうでない人にも楽しんでいただける」ものを作っていると語る倖田來未さん。
男女の恋愛や同性愛をテーマにしている振り付け、ラブソングなど「愛を表現する」ことが多いといいます。
予想外のハプニングも?
初のワンマンライブでは、予想外のハプニングもあったという倖田來未さん。それも含めライブの面白さだと振り返ります。
『キューティーハニー』の楽曲に入る前に衣装が破れるハプニングでは、安全ピンで衣装を止めて「どうもー!」と出ていったそう。
そんなハプニングも、次に繋がる良い経験だったといいます。そんな対応力もさすがですよね。
「次に繋がるライブ」
2005年のライブに関しては、歌も構成も演出のインパクトも「あらゆる面で良かった」と振り返る倖田來未さん。
倖田來未さん自身でプロデュースを行い、「何度も観てほしいライブ」「“次に繋がる”ライブ」になったそうです。
とても話題になったライブでもあり、そのライブを通して次のライブでやりたいことも出てきたそう。
そのライブは1日だけのライブで、次はツアーになったという倖田來未さん。
前回のライブが話題になったこともあり、Zeppツアーでは先行予約でチケットがほとんど売り切れたそうです。
歌やダンスのパフォーマンスだけでなく、ファンを楽しませる演出までもプロデュースしてしまうプロ意識が凄すぎますよね。
ベストアルバム『BEST~first things~』リリース
アーティストとしての注目を集める中、2005年9月にベストアルバム『BEST~first things~』を発売した倖田來未さん。
もともとベストを出すことは頭になかったという倖田さんですが、抜群のタイミングでスタッフさんが提案してくれたそう。
常に前向きに走り続ける中で、気がついたら18枚もシングルをリリースしていたと語る倖田來未さん。
提案してくれたスタッフさんたちに対し、「天才だと思う」と語っていました。
ダブルミリオンの大ヒットに
結果、倖田來未さんのベストアルバム『BEST~first things~』はダブルミリオンの大ヒットを記録。
初動売上は自己最高記録となり、2005年の女性アーティストの最高セールスとなりました。
倖田來未の5年間の集大成
2005年には様々なジャンルに挑戦できたと語る倖田來未さん。
一番やりたかった『Butterfly』や『キューティーハニー』、『Hot Stuff』などのヒップホップ系のジャンルもシングルで出来たそう。
また『Selfish』でロックとか他ジャンルにも挑戦し、バラードもリリース。
やりたいこともやれて、色々なことをやり切ったタイミングでベストアルバムがリリースできたといいます。
デビューから5年間の倖田來未さんの集大成ともなるベストアルバムなのですね。
「歌って踊れるアーティストでいたい」
ベストアルバムの1曲目には、新曲『NO TRICKS』を収録。
「歌って踊れるアーティストでいたい」という思いを持っているからこそ、自分のやりたい曲として収録したそうです。
『NO TRICKS』について、『Hot Stuff』に続くヒップホップ系のナンバーを作ることができたと振り返る倖田來未さん。
下積み時代を経てさまざまなことに挑戦してきた倖田來未さんらしい、力強いメッセージが込められた曲だそうです。
声の変化にも注目
「17歳の頃からの私を知ってほしい」と語る倖田來未さん。「若かったなぁ」と楽しみながら聴けるそう。
デビュー当時と比べると声も大人になり、太くなってきたと感じたそうです。
倖田來未さんの歌声の変化を楽しめるのもベストアルバムの醍醐味ですよね。
下積み時代のMVも収録
下積み時代にクラブ回りをしていた時期はお客さんがたった3人など、辛い日もあったという倖田來未さん。
そういう時期を経て『キューティーハニー』などのヒット曲が出たという流れを、振り返ると思い出すそうです。
そういった経緯もあり、初のベストアルバムを通して、昔の倖田來未を知ってほしいと語る倖田來未さん。
昔のMVなどもすべて収録されているのも、デビュー当時からの倖田來未さんを見てほしいというメッセージなのかもしれません。
変わらない恋愛観を表現
17歳の頃に書いた歌詞などを振り返っても、恋愛観が「一切変わっていない」と語る倖田來未さん。
好きな人には尽くすし、彼には常に「愛してる」と言ってほしい。
結婚してもラブラブのバカップルのような夫婦でいたいし。
いろいろな恋愛をしてきた上でも、そういった恋愛観は変わらないそうです。
まっすぐな恋愛観を持っているところも、倖田來未さんが多くの女性の心を掴む理由の1つかもしれませんね。
日本レコード大賞受賞
2005年12月末の『第47回TBS日本レコード大賞』では、楽曲『Butterfly』で見事大賞を受賞した倖田來未さん。
大賞受賞に関しては「絶対ムリ」と思っていたため、名前を呼ばれた瞬間は本当に驚いたそうです。
レコ大受賞の裏側
レコード大賞出場前は、「私が獲らないと」と語りつつ「そんな簡単にもらえないよな」と考えていたそう。
レコ大は初出場かつ「約半年間で一気に売れた感じだった」ため、大賞の受賞は予想外だったといいます。
初出場ながら倖田來未さんの2005年の活躍は目覚ましいものでしたから、受賞に納得された方は多かったのではないでしょうか。
ダンサーさんも大号泣?
予想外の受賞に、名前呼ばれた瞬間は涙が止まらなかったという倖田來未さん。「奇跡のような出来事」だったと語ります。
会場には松浦社長もサプライズで駆けつけ、ダンサーさんも鼻水を出しながら号泣していたそう。
諦めずに支えてくれた松浦社長をはじめ、周りの人たちの支えがあったからこその受賞だったと語ります。
歌手デビュー後初の大きな賞を受賞し、感動したという倖田來未さん。「夢はいつか叶う」と諦めなくてよかったと心から思えたそうです。
レコード大賞で着たドレスは特に印象に残っているという倖田來未さん。本人デザインの衣装だったそうです。
第56回紅白歌合戦に出場
倖田來未さんは、レコード大賞と同日に開催された『第56回紅白歌合戦』にも出場。レコ大賞受賞曲『Butterfly』を披露しました。
セクシーな衣装と圧倒的なパフォーマンスで、会場のお客さんや視聴者の方たちを魅了しました。
本番前にスター性を発揮?
倖田さんのお母さんいわく、倖田さんは「大丈夫な顔をしていても、緊張で熱を出したり、不安が体に出てしまうタイプ」だそう。
レコード大賞と紅白出場前には、緊張のあまり全身に蕁麻疹が出てしまったといいます。
ご本人もスタッフさんも動揺したそうですが、本番前にはスーッと蕁麻疹が引いたそう。
マネージャーさんは、彼女にプロとしての気合や本番の強さを感じ「この人は天性のスターだ」と感じたそうです。
車の中でメイクチェンジしたりとハードな1日だったものの、倖田さんは「最高に幸せだった日」だと振り返ります。
「ブームで終わらせたくない」
“エロかっこいい”という代名詞が先行して売れたのではないか?という気もしていたという倖田來未さん。
だからこそ、審査員の方々が倖田さんのアルバムやバラードも含めてしっかりと聴いてくれたのかな、と嬉しく感じたそうです。
レコ大受賞をきっかけに、ますます倖田來未を「ブームで終わらせたくない」と感じたそう。
長い下積みを経験した倖田來未さんだからこそ、「倖田來未を“時代”化」させたいと感じたそうです。
「倖田來未、やっぱり一年で終わったか」と思われないためにも、しっかりと結果を残していきたいと感じたそうです。
ファンからの反応は?
一気にブレイクを果たしたことで、ファンの方たちから「遠く感じる」とも言われたという
倖田來未さん。
しかし、倖田さん自身は「こんなにも近くに感じてるのに!」と感じていたそう。
今まではラジオ出演の際にサインを描いたりできていたところ、時間がなくスタッフさんに急かされることも増えたそう。
そのような変化に関しては倖田さん自身も「寂しい気持ちでいっぱい」だったといいます。
その分、雑誌などを通してファンが真似しやすい「倖田來未」ファッションを追及したりするようになったそうです。
デビュー当時からファンを大切にしてきた倖田來未さんだからこそ、変わらずファンとの関係性を大切にされていることがうかがえますね。
まとめ
今回は、倖田來未さんがブレイクを果たした2005年のエピソードを時系列でまとめました。
倖田來未さんがブレイクを果たした2005年は、倖田さんがオーディションを受け始めて約14年、デビューしてから約5年後。
夢見た場所に辿り着くまでに長い時間がかかったと語る倖田來未さんは、「振り返ると簡単じゃなかったからこそ夢は諦めちゃいけないと思う」と語ります。
夢を諦めそうになった時は、「夢は諦めない限り、いつか必ず叶う!」と自分に何度も何度も言い聞かせたそう。
ポジティブな言葉を繰り返しているうちに、これが不思議と前向きな気持ちになってくるんですよ、と語る倖田來未さん。
夢を叶えるためには並々ならぬエネルギーが必要なもの。自分で自分に前向きな言葉をかけることは大きな原動力になりますよね。
デビュー20周年を迎えてもなお第一線を走っている倖田來未さん。今後の活躍にも注目が集まります。
倖田來未のプロフィール
愛称:くぅちゃん
生年月日:1982年11月13日
出身地:京都府
年齢:41歳
身長:154cm
活動期間:2000年-
職業:歌手
事務所:エイベックス・マネジメント
2000年にシングル『TAKE BACK』でエイベックスからデビューし、2006年に『Butterfly』で日本レコード大賞を受賞。
圧倒的なライブパフォーマンスと愛らしいキャラクターで、現在も多くのファンを魅了し続けている。