2020年にデビュー20周年を迎え、現在も多くのファンに愛されるアーティスト・倖田來未さん。
いつも明るくパワフルなイメージのある倖田さんですが、歌手をやめようと思った瞬間は何度もあったそうです。
今回は、倖田來未さんが歌手をやめようと思った時期や、下積み時代に売れるために心がけていたことなどについてまとめました。
倖田來未が語る「歌手をやめようと思った瞬間」
ヒット曲が出なかった時期
歌手をやめようと思った瞬間は「ありまくり」だと語る倖田來未さん。
倖田さんが初めて歌手をやめようと思ったのは、デビューしてからなかなかヒット曲に恵まれなかった時期だそうです。
『real Emotion』のリリース時期
倖田來未さんが歌手をやめようかと葛藤していた時期の1つが、人気ゲーム「FINAL FANTASY X-2」のテーマ曲の歌手として起用された時期。
「FINAL FANTASY X-2」のプロデューサーが、すでに有名な人でなく、これからのアーティストを起用したいと発案したそうです。
ヒット曲に恵まれないままデビュー3年目を迎えた時にチャンスが訪れ、倖田さんはもしも売れなかったら「これで辞めよう」と思っていたそう。
結果として『real Emotion』、オリコン3位にランクイン。倖田さんは初めて日本のチャートにランクインすることとなりました。
倖田さんは『real Emotion』がヒットした記念として、50インチのテレビを買ったといいます。
「もう少し頑張ってみよう」
人に聴いてもらえていないのなら、倖田來未の歌声が必要とされていないなら「もう歌手でいる意味はない」とまで思っていたという倖田來未さん。
当時まだ20歳前後だった倖田來未さんにとって、なかなか売れないというプレッシャーは相当なものだったのでしょうね。
倖田さんはこのヒットをきっかけに「何かが変わるに違いない」「もう少し頑張ってみよう」と背中を押されたと振り返ります。
その直後のシングル・アルバムは売れず
しかし現実は甘くはなく、直後にリリースした「grow into one」はオリコンチャート最高位8位。
その後のシングルもトップ10圏外となり、期待が大きかった分ダメージも大きかったそうです。
ヒット曲がタイアップ曲のみだった時期
『real Emotion』のヒットに続き、『キューティーハニー』でもさらにその名を知られることとなった倖田來未さん。
しかし同時に、「タイアップのおかげでランキングに入れているのではないか」という葛藤も抱き始めたそう。
「倖田來未の声でなくても良いのでは」「自分の力だけじゃヒットを生み出せない」とアーティストとしての自分の需要に悩んでいたそうです。
この時期もまた、倖田來未さんがアーティストを辞めようと思った時期の1つだそう。
自分の声を求められていないのなら歌手を続ける意味がない、タイアップだけで売れても意味がないと考えていたといいます。
売れたからと天狗になるのでなく、葛藤を感じていた倖田さんだからこそ、後に大きなブレイクを掴めたのかもしれませんね。
タイアップなしでヒット曲を出したい
タイアップで売れるのではなく、倖田來未としてヒット曲を出さなければと葛藤していたという倖田來未さん。
作られたレールの上ではなく、アーティストとしての倖田來未に歌わせたいと思ってほしいと感じてたそうです。
そしてついに倖田來未という名前で、タイアップなしで曲をヒット曲させるという目標を達成することができたといいます。
倖田來未の下積み時代と歌手を続けられた理由
呼ばれていないのにラジオに出演?
下積み時代なかなかテレビに出られなかったという倖田來未さんは、ラジオ収録を楽しみにしていたそう。
呼ばれてもいないのに、突然ラジオ局に遊びに行って勝手に出演していたこともあったそうです。
実家に帰った際には、FM大阪に電話をかけて、「実家から聞いてます!」と電話出演したことも。
「今度シングルを出すので、よろしく!」と勝手にプロモーションをしたり、アポなしで編集部を訪問することもあったそう。
多少強引なくらいに自ら行動していくことにより、倖田さんはチャンスをつかんでいったのかもしれませんね。
公開ラジオ収録でも観客は家族だけ?
今の倖田來未さんからは想像もできませんが、当時はラジオの公開収録をしても、観客はまばらだったそう。
以前広島でラジオに出演した際は、「お客さんがいる!」と倖田さんは喜んだそうですが、実際は当時のマネージャーさんのご家族だったとか。
マネージャーさんはその事実を倖田來未さんに伝えたそうで、「頑張ろう」と一緒に意気込んだといいます。
初のa-nationではトイレ休憩タイムに?
倖田來未さんはデビューから2年後の2002年に、avexの野外イベント『a-nation』に初出演。
当時まだブレイク前だった倖田來未さんのステージは、なんと「トイレ休憩状態だった」そうです。
倖田さんがステージから観客に向かって手を振っても、数人しか振り返してくれない。そんな中、笑顔で歌い切ったそうです。
長距離をバスで移動すると言う過酷なスケジュールだったそうですが、そんな中でも車内を盛り上げていたとか。
アウェイな空気感に尻込みしてしまいそうな中、倖田さんは常に前向きで周りを盛り上げようというスタンスは崩さなかったのですね。
マネージャーも「いつか売れる」と確信
倖田來未さん初のライブは、ヴェルファーレで行われたそう。デビュー前の”お披露目会”としてライブをしたそうです。
しかしお客さんはたったの数名。倖田さんの初ライブをサポートしていた当時のマネージャーさんは、初めはどうなるかと不安だったとか。
しかし、倖田來未さんが自身のお母さんに向けた曲『Your Song』を歌っているのを聞いて、涙が出てきたそう。
その時、マネージャーさんは「この人はバラードがいい!今はまだ無名でもきっといつか必ず売れる!」と確信したそうです。
まだお客さんもいない中、目の前の人を感動させる倖田來未さんの歌のパワーを感じさせられますよね。
マネージャーさんは、倖田さんの歌声を多くの人に届けたいと、マネージャーとして本気になったと語っています。
知識をスポンジのように吸収
倖田さんのデビュー当時のサウンドディレクター・徳田さんは、好奇心旺盛な倖田來未さんの姿が印象的だったそう。
知ったかぶりはせず「リバーブって何?」「トラッキングってなに?」と質問し、スポンジのように吸収していったといいます。
知らないことはどんどん周りに聴いて成長しようという姿勢も、倖田さんがブレイクへとつながった理由の1つかもしれませんね。
リスナーが求める曲をリサーチ
売れない時期も、常にファンからの手紙やメールなどをチェックし、リアルな声を聞くようにしていたという倖田來未さん。
自己満足の曲でなく「みんなの心に響く曲が歌いたい」という思いから、みんなが倖田來未に何を求めているのか模索していたそうです。
人に評価されるために歌いたいわけではなかったけれど、評価されなければ売れないと感じたという倖田來未さん。
大好きな歌を歌いたいという気持ちだけではなく、求められる歌とは何なのか、追求し続けていたのですね。
周りのスタッフからのエール
売れない時期は、歌が好きなことも忘れかけていたという倖田來未さん。
しかし、当時は周りのスタッフやプロデューサーからはエールを受けていたそうです。
「売れなくてもいいから、いい曲を歌い続けろ」「次は倖田だよ!」などと、周りが自信をつけてくれたそうです。
当時は意味がわからん!という気持ちもあったそうですが、周りからのエールがあったことで、辛い下積み時代も耐えられたそう。
売れるまでに5年ほどかかったという倖田來未さんですが、周りの人たちのおかげで自分でいいと思うものを作り続けられたと語ります。
良いものを作っているという自信や、周りの人たちが彼女の才能を認識していたことも、彼女が歌手を続けられた理由なのかもしれません。
下積み時代の楽曲も人気?
倖田來未さんは今になって、ファンの人が倖田來未さんの下積み時代の楽曲について「当時聴いていた」と言ってくれることもあると語ります。
当時オリコン15位だった「Gentle Words」や「奇跡」、デビュー曲の「TAKE BACK」など。
そんなに聴いていてくれた人がいるならもっと売れてたはず!という気持ちもあるそうです。
売れない時期も良い音楽を作ろうと常に意識していたからこそ、それは多くのリスナーにも届いていたのかもしれません。
エイベックス・松浦社長からの言葉
明るくフレンドリーな話し方が人気の倖田來未さんですが、その喋り方について指摘されることもあったそう。
結果を出してない時は「人懐っこい」、ヒット曲を出した後には「偉そう」と言われるような喋り方だと言われるそうです。
そのため、エイベックスの社長・松浦勝人さんからは、「結果を出したあとこそデビュー前より謙虚にいなさい」と言われたそうです。
デビュー1年後に制作した楽曲「walk」
エイベックスの松浦社長が、倖田さんに「コンサートで一番最後に歌う曲を作りなさい」と提案したという楽曲が「walk」。
デビューしてから1年くらい経ち、なかなか売れない辛い時期に制作した曲で、今でも欠かさずライブで歌っているといいます。
「倖田來未が成長したら色眼鏡で見られるようになる」とも松浦さんに警告されていたという倖田來未さん。
倖田さんは、売れていなかったデビュー当時の楽曲を今も歌い続けることで、常に初心を忘れないようにしているのかもしれませんね。
まとめ
今回は、倖田來未さんが歌手をやめようと思った時期や、下積み時代のエピソードについてまとめました。
売れない時期も常に前向きな姿勢を忘れず、周りのスタッフからのエールを信じ活動を続けていた倖田來未さん。
常に良い楽曲を作ろうという気持ちを忘れず、夢を諦めなかったことが、彼女のブレイクにつながったのでしょう。
そんな倖田來未さんの今後の活躍からも、目が離せません!
倖田來未のプロフィール
愛称:くぅちゃん
生年月日:1982年11月13日
出身地:京都府
年齢:41歳
身長:154cm
活動期間:2000年-
職業:歌手
事務所:エイベックス・マネジメント
2000年にシングル『TAKE BACK』でエイベックスからデビューし、2006年に『Butterfly』で日本レコード大賞を受賞。
圧倒的なライブパフォーマンスと愛らしいキャラクターで、現在も多くのファンを魅了し続けている。